2005/ 6/ 9
HTML を解釈したりとか
とりあえず、がっつりと HTML を XML 化し、ドキュメントツリーとして内部保持する形のコードとかを書いてみたり。
.NET Framework 上で SGML -> XML するモジュールとか公開されていたりはするんですが、今回は移植前提 (C++ で後で rewrite するのが前提) だったりとか、存在しない要素を補完する (tbody がない場合は tbody を補完とか) 機能とかを付けていたりするので、敢えて採用せず。
と言っても、XML 化した後に結局自動補完機能必要だよね~、とか、書き終わってから気付いたので (遅) ちょっと後悔したり。ま、C# 版は書いて捨ててを繰り返す用なんでいいんですが。
まだ情報設計的に、どう扱ったらいいのかが未確定な段階だからしょうがないと言えばしょうがないんだけど。しっかり先に詳細設計まで落としたほうが素直な気もするけれど、それらを見極めるためのとりあえず動く版の作成だから、まぁ良し。そのための RAD ツールだし。(嘘)
2005/ 6/27
信長の野望 革新
今回の信長は全面リアルタイムになっていて、中々戦の駆け引きがアツイ。例えば、室町御所と観音寺城を持っている時に筒井城から室町御所へ攻め込まれた場合には観音寺城から援軍を送るという手段の他に、筒井城を攻めて兵を退かせるという手段も取れるわけです。室町御所と観音寺城とかだと地理的に救援に行った方が早いですが。
しかし、山形城や新発田城、黒川城から同時に岩出山城へ攻められた場合などには、烏山城から黒川城の軍勢を止めつつ小高城から岩出山城へ救援を送りながら、高水寺城からは山形城を北から衝いて山形城側の軍勢を撤兵させる、というような戦い方もできます。
相手の方が兵士数が多い上に強者揃いの上杉軍の侵攻。まだまだ武将が揃いきっていない北条軍。氏康と綱成が南部攻めに行っていて戻れる状況じゃない状態。こんな状態でも、騎馬隊と足軽隊や弓隊の速度の違いなどを利用して、前衛部隊と後衛部隊をそれぞれの城にいる軍勢で各個撃破していくとか、今までの信長じゃできなかったことですね。
ただ、ある程度自分の勢力が強大になると、コンピュータの勢力じゃ止められることがなく……。日本の半分ほどを支配すると、あとはもう消化試合という感じなのがちょっとつまらないですね。その頃にはその頃で、やはりそれなりの敵対勢力が出てきてくれていればいいのですが、そこまで強大になってくれることがないみたいで。
今川で武田との同盟を維持しつつ、越前 - 美濃 - 駿河以西を全部確保してから戻ってきても、武田はようやく伊達と交戦している程度でしたので。もちろん、武田との同盟が切れた辺りで武田を一気に下し、その勢いで東日本を全部占領した訳ですが。
しかし、序盤の楽しさや中盤の、包囲網が怖い頃の辺りは今までの作品にはない楽しさがあります。特に包囲網の周辺勢力同時侵攻。上杉謙信でプレイしたときは周囲がみんな敵だったので、かなり怖かったです、というか、富山城取られました。orz
なお、プレイヤー統計情報とかを送信できて、全プレイヤーのクリア時の統計情報が見られるわけですが、ここに募兵回数が出てきます。これはいかに少ない回数で統一できるか、やるしかない! とばかりにチャレンジしてみたら、北条で 36 回の募兵回数とかでクリアできました。
ちなみに、募兵のために必要な兵舎を、たくさん建てれば建てるほど大量の兵を一度に集められるので、とりあえず施設を最も多く建てられるうちの一つである小田原城下に兵舎を建てられるだけ建て、どれくらい 1 回で集められるのかを試してみましたが、6800 人以上は集められました。もっと統率の高い武将 (上杉謙信に一級品の甲冑 + 関白とか) で集めたら、7000 人は楽に超えそうな勢いですね。
このスクリーンショット取るために 2 回ほど必要以上に募兵したのは秘密です。orz
まぁ……イース フェルガナの誓いが届いても、なんとなく放置して信長やってそうな感じがします。今回のは楽しすぎ。
とりあえず、メモ。
- どうしても欲しい武将がいる場合、その勢力を港に追い込んでから勧告
- 敵武将を捕らえたら、とりあえず速攻で全員解放。ただし、その勢力が無くなってたら解放してもプラスはない。もしかしたら、少し好印象になるのかも
- 序盤は必ず商館を 1 つ以上建てること。で、米売りまくって内政資金を確保する
- 必要以上の商館は建てない。市の方が収入は上
- 総収穫高は水田の方が高いものの、畑は四季を通じて収穫がある。片っ端から水田にするのは二期作を取ってから。序盤は畑の方が安定するので、ほどほどにバランスよく畑も作ったほうが楽
- 最初は無理に技術開発をするよりも、余裕ができるまでは技術開発しなくていい。最初の国が一国しかないなら、学舎潰してでも市とかを建てて国力を充実し、隣国を取ってから開発するくらいでもいい
- 技術研究をするなら一系統だけ一気に開発しきるのがいい。下から順番にやる必要はないので、学舎を建てながら下級技術を開発し、学舎 40 揃えて一気に S 級を上から研究したほうが、確実に名声が取れていいし、大体の場合、その方が強い
- 南蛮町、公家町、商人町、門前町は建てられるならとりあえず 1 つは建てておくこと。必要がなくても。南蛮町は鉄砲関係の技術がない場合に教えてくれたりする。公家町は官位を売りつけてくれる以外にも、たまに鉄砲をくれる。門前町は弱小大名に取って最大の切り札になる僧侶の可能性を出すためにも必須
技術開発の優先順位は、優先順位が高いものが開発できない場合はその下の開発可能なものを、という感じで。で、開発しきったところで内政で、伝馬制を。それから二期作と灌漑。必要なら兵農分離も。築城と兵器はほとんどいらない。ただし、強い勢力なら、ですが。
基本的には兵科系のものは、まず最初に移動速度を上げてから、闘志ゲージ上昇、戦法連鎖率向上辺りを取って、一回の威力が大きい戦法の威力と回数を増やす。そして、戦闘能力向上を向上させてから、敵の戦法防御を取る。対戦法防御の優先度は、状況次第で目の前から少し先の敵 (開発終了時期の予定で) に合わせてで。
牧場や鉄砲鍛治は建てるならできるだけ一国に集中して多く建てて輸送する方が効率的。3 国でそれぞれ 1000 前後ずつ集めるより、1 国で 6000 集めるとかで。武田とかなら信濃に牧場を大量に建てるのが吉。兵舎とかもそうだけど、基本的には一国で一種類を大量に集める体制をとったほうが効率がいい。
2005/ 6/29
信長の野望 革新 (2)
現在、上級で将軍足利家、シナリオ 1 の尾張統一シナリオをやっている訳ですが、武田でやっていたときと違って、しっかり国造りしないと辛い辛い。
1572 年 3 月とかまで行ってるんですが、武田プレイ時はこの 5 年前には統一していました。さすがに武将の揃い方が違いすぎる……。
現状、やはり武田が妥当に肥大化。東日本を押さえ、戦力もずば抜けている状態。しかし、将軍足利家もそれに次ぐ戦力を持ち、名声では武田家を上回っている状態です。
また、救いは足利家にも名将が揃いつつあること。信長や秀吉、家康はもちろん、なぜか徳川家に流れ着いていた謙信や氏郷、重秀、半兵衛などが前線で武田家に対抗しようとしています。
折りしも織田家侵攻中に武田包囲網が発動。武田と同盟を結んでいた (何故……) 家康は尾張を落とした際の勢いでそのまま潰したのでした。
ちなみに、この足利家ですが、最初に筒井を滅ぼし、続いて鈴木家を滅ぼした関係上、鉄砲に秀でた武将が揃ってくれました。なので、なぜか最初に鉄砲を極めていたりします。
南近江に鉄砲の巨大生産地を作り、ここで 1 回 8,000 以上の鉄砲調達ができたりします。というか、この位やっておかないと、鉄砲の補充が追いつきません……。
それでも、尾張三河と占領した時点での鉄砲保持数は群を抜いています。
さて、これで長篠の合戦再来となるか、騎馬隊の勢いに飲まれてしまうのか。なんとか武田に対抗していきたいところです。
しかし、今までで一番募兵回数多いです。まぁ、他の大名ではこの時期にはとっくに統一できていたのだから当たり前という話もありますが。
2005/ 6/30
信長の野望 革新 (3)
兵士と鉄砲の迅速な輸送と大規模な生産体制を整えることで、兵力を各方面の前線で合計 60 万、鉄砲数を 50 万まで増やしたところで、武田領への侵攻を再度開始。今回は信濃の武田勢を押さえつつ東海方面を東進して関東平野を押さえるのが目的です。
上杉謙信や織田信長、竹中半兵衛などの活躍により、途中何人もの武田家臣を撃殺しながら武蔵岩付城を占領。駿府駿河城侵攻時には駿河城に 24 万とかの兵が籠められていたため、取り込んだ負傷兵が 10 万を超えるなど、なかなかすごいことに。
駿河城攻防戦中、武田勝頼と武田信廉が銃弾に斃れたりしました。正直……助かった。
岩付城を落とす際、上野箕輪、甲斐躑躅ヶ崎、下総古河御所からの援兵が送られてきてこれらも掃滅していたため、手薄になった各城もついでに落とすことに。
前線を増やさないように領土を広げるには、駿河城に残しておいた 10 万の兵力を躑躅ヶ崎に送り込み、同時に謙信率いる騎馬鉄砲隊なども岩付城から支援として送り込む。
当然のように信濃深志から援軍が送られてきたため、これらも掃滅しつつ躑躅ヶ崎を占領。勢いに乗ってそのまま北上して深志を占領。
これで美濃岩村城に防衛用に留めておいた 12 万の兵力が前線ではなくなるため、稲葉城に戻す。
この時点で、武田勢は北陸方面から神保、畠山、本願寺、朝倉などを滅ぼしながら西進していて近江小谷城や本拠地である山城二条御所がやや手薄なことに気付いたため、稲葉城に 10 万ほどを残して送り込む。
これと同時に、四国方面への守り口である堺港に摂津石山御坊から堺港防衛のために追加で兵を送り込む。石山御坊に 8 万、堺港に 6 万ほど。
これらの兵の移動を行いつつ、深志城から東進して上野箕輪城へ侵攻。同時に岩付城からも援軍を送り込む。この時点でさらに古河御所から武田の援軍が出たため、かなり古河御所の兵が 1 万を切る。
これを確認したところで、箕輪侵攻中への援軍が上野に入る頃を見計らって岩付城から古河御所へ侵攻。箕輪が落城したために戻ってきた兵と、下野宇都宮から古河御所に送られてきた援兵を古河御所の北で撃破し、古河御所の占領に取り掛かる。
古河御所を落としたら、少し町並みを作り変えて軍備を整えつつ、生産拠点の移動を行おうかな、と思っていたところ、飛騨桜洞から稲葉山へ武田勢出兵の報が入る。
急いで古河御所を落として武将を移動させねば、とあわてて古河御所を占領したところ、実はこの稲葉山城侵攻が一斉攻勢の皮切りであった事を知らされる。
立て続けに、丹波八上より石山御所へ向けての出兵、越後春日山からの箕輪へ向けての出兵の報。宇都宮からの古河御所へ向けての出兵。(古河御所への兵はあっさりと撤兵しました)
稲葉山は兵はそこそこいるものの、敵の攻城戦が始まるまでにはどうしても武将の移動が間に合わない、と判断し、4 万の兵力と 5 万の鉄砲を尾張小牧山に建てておいた支城へ向けて輸送隊を出発させると共に、とりあえず移動が間に合った家康や秀吉で稲葉山から迎撃。
しかし、鉄砲以外はほとんど技術開発できていないため、精強を誇る武田騎馬勢にあっさり粉砕され、秀吉や蜂須賀小六が捕まってしまう。 orz
しかし、秀吉らが時間を稼いでくれたおかげでなんとか鈴木重秀や蒲生氏郷らが稲葉山に入場できたため、これらを鉄砲隊として出撃させる。しかし、築城技術も全然上げていなかったため、武田勢にいる上杉景勝の車懸りによってあっという間に防御度 0。このままでは一方的に兵を殺されてしまう、と踏んだため、武将と兵を逃がす方策を考える。
ここでできることはただ一つ。革新版空城の計。これ。単に兵を全部出撃させるだけ。当然落城しますが。
しかし、このゲームでは城を守る場合には拠点戦法しか利用できなくなるため、武田騎馬隊の強力な突撃を受けるよりは、拠点戦法で岩でも落とされていたほうがよほど被害は少ないのです。
既に防御度が 0 にされていたため、反撃する際に防御度を落としてから城の兵を 0 にする必要がなく、がんがんと城に籠もった兵を撃ち殺すだけで勝てるわけです。まさに肉を切らせて骨を断つ戦い方。
この時点で、小牧山城へ送っておいた輸送隊が効力を発揮。尾張清洲に残っていた 1 万の兵と合流して小牧山には既に 5 万の兵がいるため、補給隊を送るのと同時に小牧山に向かわせていた謙信らが到着すると共に即座に稲葉山に向けて出撃。稲葉山から出撃し、そのまま稲葉山攻めに入っていた重秀や氏郷らと共に稲葉山から出撃してくる武田勢を各個撃破しつつ稲葉山を取り返す。
と、ここで唐突に箕輪方面を思い出したため見てみると、越後春日山から出撃してきた部隊には武田信玄を含む 4 万騎であったことを思い出し、箕輪からの支援攻撃を受けながら迎撃していた上杉謙信率いる騎馬隊 25,000 騎が武田信玄に車懸りを決めていたところで、既に武田信玄部隊は 5,000 程度まで減っていて、総勢も 2 万を切っていたため、このまま勝てるな、と放置。(ぉ
などとやっている間に、西の方では石山御坊でも激戦が行われていたり。もともと石山御坊を守っていた浅井久政は騎馬隊で迎撃に向かう。それと同時に堺に到着していた明智光秀らは急いで石山御坊へ鉄砲隊を率いて救援へ向かう。
堺の兵があまり手薄にならないようにと、6 万は堺に残して 4 万ほどだけ援兵として送る。こちらの方面は武田勢が少なかったため、これでも十分と見越したのですが……兵士数は少なかったものの、武将数が多かったために、包囲されて落城。 orz
しかし、包囲しつつなぜか攻撃されていたため、防御度がほとんど無くなっていたため、堺からの援兵と合流して石山御坊を取り返そうとそのまま反撃。
と、この時点でなんと恐れていた四国を治める長宗我部が堺へ向けて出兵の報が入る。 orz
既に稲葉山の攻防が終わっていたため、稲葉山防衛を行っていた武将らを堺へ向けて移動。武将数が少ないので、いろんな方面で立ち回ってもらわないとどうにもならないのが辛いところ。
武田は拠点数 30 で現役武将が 299 人、足利家は拠点数 33 で現役武将が 116 人というのはさすがに密度に差がありすぎ。捕らえた敵武将は滅亡勢力でなければ片っ端から解放して名声を稼いでいたため (武田家の城とか、運がいいと一度に 40 人以上捕まえて名声がっぽりだったり) 武将数の差が圧倒的になっているのが辛いところ。
石山御坊方面は城に籠もった兵が 16,000 程で、攻めているのが 3 万程度だったため、放置しておいても大丈夫と判断して堺戦に集中。
しかし、どう見ても楽勝ペースだったため、これで問題はないかな……と思っていたところ、なんと一番恐ろしい問題である兵糧問題が勃発。残兵糧が 1 万を切っている状態。 orz
次の兵糧収入はいつ……と思ったら、なんと 5 月末日だったため、とりあえず 1 日 2 日で無くなることはないと安心。と言ってもすぐに足りなくなるのが目に見えていたため、急いで全土で兵糧購入に走らせる。走らせる……うわ、金も 2 万切ったっ。 orz
しかし、なんとか一息付ける程度は揃えられたのでとりあえず良しとする。しかし、手薄になった丹波八上城とか攻め込みたかったのだけど、この問題で断念。
なんとか石山御坊を取り返したところで、赤松が播磨姫路城から石山御坊へ向けて出兵との報が入る。マジですか。兵糧がないから兵士を送れないんですが。 orz
とりあえず堺の方が守りきれていたため、堺方面にいた武将らも石山御坊に向けて移動させつつ、石山御坊を少しだけ修復して防御度を少しだけ回復させる。
武田と違って人材が少ないかな、と思って確認してみたところ、予想通り黒田官兵衛を除くと雑魚ばかり。であれば、と計に長けた数人を使って混乱させ、鉄砲櫓による攻撃で打ち減らさせつつ謙信、信長、半兵衛らによる足利家最強の鉄砲隊出動。
通常攻撃は 600 以上のペースで打ち減らしつつ釣瓶撃を覚えた信長の活躍によりなんとか撃退。っていうか、釣瓶撃強っ。
ということで、なんとか一つの城も敵に取られる事なく、防衛に無事成功したのでした。
これらの激戦の結果、負傷兵を取り込んだ兵士数は 98 万を超え、武田は総兵力 80 万を数えていたのが 37 万まで減ることとなりました。
時は 1578 年 7 月。足利将軍家最高の野望はまだまだ続くのでした。
テキストにすると結構長いけど、同時進行で進んでいくので、時間にすると結構短いんですよね、これ。
しかし、包囲網に参加している側で一斉侵攻されるとは思いませんでした……。